「なぜ性教育をやらないんですか?」
「それは全て、性教育で解決しそうですよね?」
保護者のみなさまからも多く、こうした声をいただいています。
私自身も「家庭内で」とされているこの教育について、大きな課題を感じています。
中央区では家庭教育学習会など、保護者が積極的に学びの場づくりをしているように、取り組みが高まっていることも事実ではあります。
公教育(義務教育)において、何を学ぶことになっているのか。こうした疑問は当然のことと思いますので、講演内容を元に、歴史的背景からお伝えします。
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オンライン講演会にて
一般社団法人“人間と性”教育研究協議会の代表幹事、水野哲夫先生から「学校で性の学びを進めるために何が必要か」をお聞かせいただきました。
1940年~60年代:純潔教育
1970~90年代:性教育が進む「人権としての性」
1999年:文部省「学校における性教育の考え方、進め方」※「最大の進み」であったそう
2003年:七生養護学校事件
都議の批判により、性教育をした教師が大量に処分される → 教員指導の委縮へ
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では、現在はどう示されているのか。
※学校における性に関する指導について(エイズ・性感染症を中心に)文部科学省
「指導要領」における位置づけが、小学校、中学校、高等学校と示されています。「教育」ではなく「指導」とのこと。
性犯罪、性暴力に対応するものであり、性や人権を学ぶ包括的な内容とはなっていない。
保護者が子どもに願う
生き生きと
自分らしく、自分を大切に
他人にやさしく
生きてほしい
といった願いは、教育として皆が学ぶ機会は必要ないのでしょうか。
私は特に、集団生活の場において伝える意義は大きいと考えています。
そうした思いを胸に、再び「国際セクシャリティ教育ガイダンス」を読み直しています。