東日本大震災から10年、当時の私と家族

10年が経った今も、辛い気持ちを抱えている方々が、少しでも心穏やかに過ごせるよう、心からのお祈りを申し上げます。

私の経験は特別でもないのですが、感謝を伝えたい方々へ、ここに残そうと思います。

 

当時は、長女4歳、長男が1歳児。私は会社勤務でした。娘と交換日記をしていて、数日前に娘から「地震は怖いけど大丈夫だね」と、ひらがなで書いてありました。事前にも、その後の余震も続いていたことを思い出します。

発災時点では、赤坂の職場で勤務していました。慌てて階段を駆け下りて国道に出ると、山王パークタワーが波立つように左右に揺れていて、これは大変だと、思いました。そしてお台場の火災映像を見て、すぐに帰りたいと思いました。

保育園まで1時間半位、回り道をしながら歩いて帰り、子ども達を迎えると夜になっていました。破損した窓ガラスなど、通行できない道路があったためです。この帰り道、同じ年齢だけど頼りになる先輩と、あれこれと話しながら一緒に歩きました。ガラスの飛び散る歩道も、一人では怖かったと思います。

 

それまでの間
「子ども達は1人も泣いていません」
「いつもの訓練のように頑張りました」
「ずっと待ちますから安心してください」
と温かいメールが保育園から届いていました。素晴らしい園長先生方に支えていただきました。当時の娘の話では、先生方は泣きながら「いつもの訓練と同じだよ」と励ましてくれたそうです。

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中学生になった娘と、今朝、その話をしたのですが、保育園で揺れの中を留まっていたことや先生の声かけは覚えているけど、怖い記憶はないと言っていました。保育園の先生方のおかげだと思っています。
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翌日、乳児家庭ということで「地元のお母さん」とも言うべきお2人が、食事をもてなしてくれたり、買えなかった水を届けてくれたりとしてくれました。一人暮らしでご自身も心配だろうに「子どもが一番大切だ」と、きっぱりと言われました。

 

当時の住まいはマンションの高層階。エレベーターも3日間復旧せず、子ども達と何度も歩いて往復しました。必死で毎日が過ぎましたが「地域への思い」「恩返し」「感謝」といった当たり前のことを、実感していました。自分達、家族だけでは生きていけない、子どもは育てていただいているんだと、思いました。

毎日、保育園の保護者グループメッセージが行き交い「今日、お店にお水が入荷してたよ」「1箱多く買えたよ」とか、気持ちを通わせ、励まし合いました。ママパパ友も、大切な絆でつながっていました。

 

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それから2年が経ち、3人目の子どもの命をいただいた直後、母と死別して、これからは感謝を行動にしていきたいと、思いました。まだ道半ばですが、当時のことも、感謝の気持ちも忘れずに生きていきたいと、今日、改めて思い出しています。

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水戸支社の営業部で共に働いた先輩方には、相馬や双葉周辺が地元の方々が、たくさんいました。ずっと、気がかりでいます。常磐線や地域の復興も、心から願っています。